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2016年6月

マイブーム

最近私がすごく楽しく作ったのは
実山椒の醤油漬け



時短を探して茹ででから実を外しましたがその時間がとっても至福💕

すごく楽しくて何度か買い込んで下ごしらえして冷凍してあります。

で次は赤シソジュース👍

ずっと気になっていたのですが袋にぎゅーぎゅーな赤シソにちょっと手が出せず😅

でもさっき少なめの量のを見つけたので買ってしまいました。

早速作り方を検索して煮出すこと10分



お酢とお砂糖を加えたら綺麗な赤になりました。



飲んだら美味しかったです❣️

この他に糠味噌漬けも作り始め😁

こういう作業って仕事の合間に静か〜な気持ちになれるのよね

去年の梅ジュースは1瓶残っているし次は何を作ろうかな〜

自転車

雨が止んだから
自転車で仕事に行こうかな〜bicycle
こういう日はクチナシの香りが
濃いように思いますheart04


深い悲しみの先に

2ヶ月ぶりの更新です。

私を生み育ててくれた母が
4月27日80歳でこの世を去りました。
昨日、四九日と納骨を終えました。
これを機会に、母の事を書きとめます。
そして、私の日常を
気持ちと共に
前に進ませたいと思います。

・・・・・・

昨年の9月、
検診で見つかった肺の影は
詳しい検査で癌と分かりました。
進行が速く、
治る望みをかけた薬には
効かない型の癌であることが分かり、
母は一切の治療を拒否して
最後までこのままで生き抜く事を選択しました。

殆ど元気な感じで検査入院をしたのに、
数週間後
おびただしい数の薬の山と一緒に自宅に帰った時には
ひどく病人のようになっていてとても弱っていました。

家に帰ってからは在宅医療の先生、看護師さん、
リハビリの先生、
そして介護のプロである上の弟のお嫁さんが
絶対に母が苦しまないようにと配慮したケアをしてくれました。
薬の数を減らし、痛みを除くように先回りに対応して貰ったことは
母の寿命を年内 から 年明け4月まで に延ばしてくれました。
母は殆どぎりぎりまで自分でトイレに行き
起きて食し、普通に近い生活を送っていました。
頭も多少変な事を言う事もありましたが
最後までクリアでした。

夜はずっと二番目の弟が付き添ってくれて
夜にトイレに起きる母を介助し、
わがままを聞き、
昼間は散歩に出かけて
殆ど仕事も休んで最後まで支えてくれました。

さて私はというと
仕事の合間に見舞うだけで、
せいぜい背中をさすり続けたり、
着替えを手伝ったり、
殆ど何も出来なかったと言うのが
本当のところです。
私たちの仕事は休むことができません。
なかなか理解が得られない業種ですが、
母は勿論分かっているので、
早く仕事に行きなさいとか、
大丈夫なのかと逆に心配していました。

小さい頃から私にとっては大変厳しい母でしたが、
本当に深い愛情を持った人でした。
4歳から音楽に触れさせて貰って以来、
音大に行きたいと言った時も私のやりたいように
やらせてくれました。

そんな母でしたが、
私の仕事を本当に深く理解してくれたのは
この5年間位でしょうか。
それまでは、
世間並みにきちんとしなさい!的な、
お小言をたくさん頂戴していました。
ちゃらんぽらんしているように
見えていたのでしょうね。
私が言うほど大変な仕事をしているとは
理解できなかったのだと思います。
何で仕事優先なの?!家は大丈夫なの?! 
勿論応援してくれていたのは分かっていましたが
それより厳しさの方が勝っていたかしら。

若い頃はよく喧嘩もしましたし、
私がとても強情だということもあって、
日常の色々な事に関しては
母に相談して何かを決めると言うようなことは
有りませんでした。
でも私が本当に困ったとき、厳しい言葉と一緒に
必ず助けてくれたのは母でした。

30年前、それまで共に働いていた父を
突然の事故で無くした時も
母はとてもしっかりしていました。
凛と強く、私は弱音など一度も聞いたことがありません。
でも、体は正直で喘息になったり、色々入退院もありました。
ですから自分の体をとても大切にして、
自彊術という体操を数十年続けていました。
癌が分かる前、夢にもそんなことは思わないような、
とても元気で活き活きした生活をしていました。
それなのに何でこんなに速く逝ってしまったのでしょうか。

母は入院中、たまたま夜に回診にいらした担当医師に、
私たちより先に検査の結果を聞きました。
自分から教えて欲しいと言ったそうです。
「癌でした」と言われて、「分かりました。後の細かい事は
結構です。子ども達に言ってください。」と言ったそうです。
その晩母から電話がありました。「癌だって」
私は、心臓が止まるほど驚いて、
何で先生は夜一人の母に直接お話しされてのかと思いました。
でも母は「私は平気よ。もうこれで何もしないで帰るからね。」

家族全員13人で旅行に行くことも実現し、
諦めていたひ孫の小学校入学も見届けました。
途中、もうだめかも、と何度か思ったこともありましたが、
母はその都度復活し、翌日行くと、
「あら、来たの?」と笑顔で迎えてくれました。
その命の強さに、お医者様も看護師の方々も
今までに経験がないと、びっくりされていました。
そして27日早朝、
酷く苦しむこともなく、眠るように息を引き取りました。

・・・・・

今、私は自分の事を考えた時、
母のように出来るだろうかと思います。
弱音を吐かず、最後まで命と向き合い
全うする勇気があるだろうか。
母は、自分の生きざまを
私に見せてくれたのだと思います。

母は私の最近の仕事ぶりを本当に喜んでくれていました。
演奏会もお友達を誘って来てくれていましたし、
宣伝もしてくれていました。
このひと月ほどの間に、
色々な方が声を掛けてくださいますが、
母が私の事をとても喜んでいたとよく言われます。
あの母がそんな風に人に私の事を話すなんて
以前は絶対にない事でした。
認めて貰えたようで嬉しいです。

納骨を済ませて、
本当に逝ってしまったのだと実感しています。
私を生み、厳しく育ててくれて、
本当に、本当に、感謝しています。
母の娘で良かったです。

母の気持ちに答えられるように、
胸を張って母の娘ですと言えるように、
これからも精一杯精進して、
私も母のように命の尽きるまで生きたいと思います。

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